アノ歴史上の人物も同性愛者だった!? 衆道から見る武士の男色諸説

【相談者:20代女性】
初めまして。大学で歴史学を専攻している20歳の女性です。最近、歴史上の人物には同性愛者が多かった、という噂を耳にしたんですが、それらの話はどこまでが本当なんでしょうか。たとえば衆道関係だと、森蘭丸と織田信長が有名だと思うんですが、ほかにも武士のなかにはどんな同性愛事情があったのでしょうか。教えてください。よろしくお願いします。

qa_a武士の男色があったのは事実ですが、具体的な衆道関係には諸々諸説があるようです。

初めまして。ライターの雪見かおるです。ご質問ありがとうございます。

歴史上の人物から見る同性愛事情についてのご質問ですね。なかでも武士の男色について、森蘭丸と織田信長のような衆道関係はほかにないのか、とのことですが、この手の衆道関係は諸々諸説が飛び交っているようです。

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そもそも武士の男色は、女人禁制の戦場で武将に仕える少年を“小姓”(武将の身近に仕えて、諸々の雑用をする係)として、ときに女性の代わりに相手をさせたことが始まりとされており、室町以降の武士の間で最も盛んになったと言われています。

現に1716年頃に書かれた「葉隠(江戸中期の教訓書、武士の修養書)」では、衆道の心得が書かれていたようで、「相手を何度も取り替えるなどは言語道断」「そのためには5年は付き合ってみて、よく相手の人間性を見極めるべき」など、あたかも男色のハウツー本のような記述があることから、たしかに武士の男色はしっかりと存在していたことが分かります。

続けて、武将の衆道関係についてですが、あの上杉謙信の最大のライバルと言われていた武田信玄。正妻以外に何人もの小姓を抱えていたようで、なかでも溺愛していたのが、16歳で信玄に仕えたとされる春日源助(のちの高坂弾正)です。

この源助にあてた、信玄直筆の手紙が以下の通りなんですが、この内容がなかなか興味深い。

「弥七郎伽に寝させ候事之なく候」(『新編会津風土記』)

意味は、小姓の弥七郎とは寝ていない。寝ようとしたのだけど、気分が悪いというからできなかった。好きなのはお前だけ、などなど……。いわば、源助に対する浮気の弁明を綴った内容の手紙です。

まさか、このような手紙をあの武田信玄が書いたとは夢にも思いませんが、かの有名な戦国武将がひとりの小姓にここまで頭を下げるのにも驚きですよね。というのも、武士の男色は、“出世の手段”や“戦の団結強化”の役割もあったとされているため、小姓もその要因のひとつだったことが考えられています。

だからこそ武士の男色は流行し、かの有名な武将たちの衆道関係も諸々諸説が飛び交っているのかもしれませんね。

ほかにも、また何か質問したいことがありましたら、遠慮なくご相談くださいね。お待ちしております。

【参考文献】
・『BL新日本史』著堀五郎(幻冬舎コミックス)

●ライター/雪見かおる(セクシャリティ専門家)

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